持続可能な畜産の実践者と考える、食×テクノロジーの未来 Q0トークイベントVol.5 レポート

Event Report#イベントレポート

「地方と都市の“あいだ”」へと眼差しを向け、環境やサステナビリティをはじめとする社会の諸問題解決への糸口を探るQ0のトークイベントシリーズ。

2024年8月に開催したトークイベントVol.5のテーマは、「どんな環境を食べたい?」。Q0の出資先である株式会社上の山放牧場の渡邊 強さんと、多様なパートナーと共に社会課題解決事業の創出を目指す一般社団法人 Arc & Beyondの萩原 丈博さんのお二人をゲストにお呼びし、今後の食のあり方とテクノロジーの関係についてヒントを探りました。

株式会社上の山放牧場 代表取締役 渡邊 強さん <写真左>
一般社団法人 Arc & Beyond 業務執行理事 / Co-Founder 萩原 丈博さん <写真中央>
モデレーター:株式会社Q0 アーキテクト 池田 友葉 <写真右>

執筆:高野 優海

放牧経産牛の販売と牧草飼育で目指す、「100年先も持続可能な畜産」

上の山放牧場は、秋田県にかほ市・鳥海山の麓に位置する、豊かな自然環境に恵まれた美しい放牧場です。渡邊さんは和牛繁殖農家の3代目で、高校卒業後、大規模な和牛農家での2年間の研修を経て、20歳で家業を継ぎました。その後、牛の肥育や食肉生産にまで事業を広げ、2023年には株式会社化を行い、現在に至っています。

上の山放牧場の最大の特徴は、全国で1%未満しか流通しない、黒毛和牛を10年以上放牧で育てた「放牧経産牛」を販売していることです。

食用の牛は通常生後2年半〜3年で出荷されるところ、なぜ上の山放牧場では10年以上育てた牛のみを出荷しているのか。渡邊さんはその理由を、「実は、牛は長く生きるほど肉の味が濃くなる。世界で一番美味しい牛肉を探す映画では、『14年育てた牛肉が最も美味しい』と結論づけられている」と説明します。

上の山放牧場のもう一つの特徴は、自然の植生を生かした牧草飼育を行っていること。広大な敷地で牛を放牧し、自生する草を食べさせることで、海外輸入に依存しない牛肉生産を目指しています。

多くの和牛農家では輸入した穀物類で牛を肥育しますが、輸入飼料は為替の変動や国際情勢の影響を受けやすく、経営が不安定になりがちです。幼少期からそうした課題に触れてきた原体験から、渡邊さんは地域の資源を活かした飼育にこだわっているといいます。

広大な上の山放牧場の全景

そんな上の山放牧場では今後、放牧場の自然を体験できるプログラムの提供や、豊かな自然を活用した休憩施設の整備などにも力を入れていくそうです。 そうしたサービス開発に、Q0も出資元として伴走しています。

テクノロジーを身近にする仕掛けと創設した基金の活用で、社会課題解決を加速させる

続いてお話くださったのは、一般社団法人 Arc & Beyondの業務執行理事/Co-Founderであり、IoTブロック「MESH」の開発者でもある萩原さんです。

MESHは、プログラミング言語を知らなくても、やりたいことを直感的にプログラミングで実現できるツールです。身近な物とセンサーやスイッチなどの機能を組み合わせてプログラミングすることで、例えば「食器棚の扉にMESHを貼りつけ、開閉の動きを感知したらメールが届く仕組みをつくることで、一人暮らしの親の安否を自動で確認する」といったさまざまなアイデアを手軽に形にすることができます。

MESHは現在、教育機関でのプログラミング教育や、企業の製品開発におけるプロトタイピング、少年院における教育支援などに活用されています。

そうしたMESHを活用した事業に加え、萩原さんは2024年4月にソニーグループが設立した一般社団法人 Arc & Beyond(以下、Arc & Beyond)の業務執行理事としても活躍しています。

「Arc & Beyondは、パートナーから拠出いただく資金を『Arc & Beyond基金』でお預かりし、その運用益を事業に充てることで、受益者からの資金調達が難しい社会課題解決事業においても、持続可能な資金の流れをつくるとにチャレンジしている」と萩原さんは説明します。助成金などとは異なり、基金の運用益を活用するスキームを採用することで、事業の継続性を重視していることが特徴です。

Arc & Beyond設立の背景には、萩原さんが長年抱いてきた、経済合理性では解決されない領域の課題が放置されていることへの問題意識があったといいます。現在は教育、福祉、スポーツの領域で事業創出に取り組んでおり、将来的には他の分野にも広げていく予定だそうです。

「MESHのようなツールをはじめ、テクノロジーがより手軽で誰でも使えるものになれば、問題解決のプロセスが迅速に進み、自分たちの生活環境を自ら変えていけるようになる。今回のイベントのテーマである『食』を取り巻く環境についても、どうアップデートしていくかを個々人が考え、行動していけるようになったら理想的」とプレゼンを締めくくりました。

効率化とは異なる方向でテクノロジーを活用し、生産現場との距離を縮める

お二人からのプレゼンの後には、Q0で上の山放牧場のプロジェクトを担当する池田がモデレーターに加わり、クロストークが行われました。

テーマとなったのは、「価格やブランドといった分かりやすい指標だけでなく、環境への配慮や生産者への共感といった新たな価値基準で食べ物を選ぶ未来を、どうすれば実現できるのか」。

渡邊さんからは、「上の山放牧場では、SNSを活用して牛の生育過程や育て方のこだわり、おいしい食べ方などを伝え、価格や等級以外の要素で選んでもらえるよう努めている。また、一頭一頭に名前をつけて育て、その名前のまま販売することで、牛の個性や、命をいただく重みを消費者に届けている」という実践が共有されました。

一方で、牛の存在や上の山放牧場の美しさをより身近に感じてもらう方法については、引き続き模索しているといいます。

これに対し萩原さんは、保護猫カフェの課題解決にMESHが活用された教育事例(※1)を引き合いに出し、「テクノロジーを活用すれば、よりリアルなつながりを感じられる仕組みをつくれる可能性がある」とコメント。

保護猫カフェで生まれた、カフェにいる猫の動きに合わせて利用者の自宅にある猫のぬいぐるみが揺れるプロトタイプを紹介し、「単にカメラで様子を中継するだけでは親しみを持ちづらい。保護猫カフェのようにぬいぐるみと連動させたり、例えばスマホの壁紙として牛の状況がわかるポップなグラフィックが日替わりで届くようにするなど、表現方法を工夫することが重要」と指摘しました。

会場からも意見を募ると、広大な放牧場で牛たちが日々どんな場所を好んで訪れているのかがリアルタイムでわかる仕組みや、牛の鳴き声から牛の気持ちや主張を理解できる仕組みなどのアイデアが寄せられました。中には、「可愛らしい姿だけでなく、屠畜の様子の一部も併せて伝えることでこそ、命の有り難みが伝わるのでは」という意見も。

また、渡邊さんの「牛は個体によって性格も好きな草も違う」という発言をきっかけに、「一頭一頭の個性を活かして牛をキャラクター化し、消費者が自分の『推し牛』をつくり、遠隔でその成長を見守る仕組みをつくれないか」というアイデアも生まれました。

こうした一連の提案に対し渡邊さんは、「出産が近づくと教えてくれるIoT機器はすでに畜産業界でも活用されているが、そうしたテクノロジーを消費者への情報伝達に活用する発想は今までなかった」と述べた上で、「牛との距離が縮まると、お肉を調理する際の心構えも、お肉の味すらも変わる。牛の人生のストーリーを知った上で食べることで、お肉はより一層美味しくなる」と力説しました。

萩原さんは、「テクノロジーは一般的に効率化に利用されるが、そうではない活用の可能性も大いにある」と主張。「効率化を追求すると、機械やAIによって人の仕事がどんどん不要になる方向に進んでいくことが考えられるが、人が主体となり、テクノロジーを道具として使う場面では、効率化以外の活用法が生まれやすい」と解説しました。

トークを振り返り、モデレーターの池田は「今後の『食』のあり方について考る上では、今回のトークイベントのように生産者と消費者が同じ場で議論し、考えることが重要だと改めて感じた」とコメント。「Q0では今後、渡邊さんと一緒に放牧場を訪れたくなるような仕掛けづくりを進めていくので、ぜひ皆さんにも実際に上の山放牧場を訪れ、牛たちと触れ合ってほしい」と呼びかけ、トークイベントは終演となりました。

※1 関連記事:大学 「保護猫カフェの不便をIoT技術で解決する」

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