これまでの2本の記事では、佐賀県吉野ヶ里町松隈地区に「松隈小水力発電所」ができた経緯と、住民が株主となって会社を設立し事業を運営しているしくみを紹介しました。続く今回は、水力発電事業が始まって、地区にどんな影響があったのか。地区の人々の生活がどう変化したのかを紹介します。地区の皆さんの集まった場でざっくばらんに話を聞かせてもらいました。
取材・執筆:甲斐かおり
撮影:山中慎太郎(Qsyum!)
編集:篠原繭(TISSUE Inc.)
日本で最小規模の「松隈小水力発電所」。逆転の発想から生まれた「佐賀モデル」とは? /(前編)
集落全40戸で会社を設立し、小水力発電を運営。小さくても楽しい暮らしを維持する活力源として売電収入を生かす / (中編)
男性も女性も年配者が集まって楽しめる場を
梅雨の合間のよく晴れた土曜日の朝。年配の男性が6~7人、エプロンをつけて真剣にまな板に向かっていました。この日、松隈公民館で開催されたのは老人クラブの「男の料理教室」。「男も料理くらいできるようになろう」という意気込みで始まり、男性陣が女性たちの指導のもと料理をし、その後の飲み会を含めてみんなで楽しもうという集まりです。
もう4回目になるというこの日の献立は、冷やし中華。キュウリを刻む人もいれば、鶏肉を茹でてほぐす担当の人、じゅわっとフライパンに卵液を流し込んで薄焼き卵をつくる人も。もっと手取り足取りの料理教室かと想像していましたが、皆さんいたって慣れた手つきで、それぞれの作業に打ち込んでいました。料理が完成すれば、その後はお楽しみのお酒を交えた昼食会になります。
同じく公民館で午後に行われたのは、女性たちによる「しそジュースづくり」の講習会。60〜80代まで地区の女性8人ほどが集まって、作り方を教わります。こちらはみな賑やかにしその葉を洗って煮出し、漉して酸を加えて…と作業は進み、あっという間に完成。皆さんわいわいと、できたてのシロップをソーダ割りにして楽しみました。
お酒代は別にして、基本的にこれらの料理教室やしそジュースづくり講習の参加費はゼロ。松隈水力発電事業を担う「松隈地域づくり株式会社」からの寄付を含む、老人会の活動費で賄われています。
「水力発電のおかげでますます地区のまとまりが出てきたよね」と、皆さん口々に言いとても嬉しそう。独居の女性も、耳の遠い方も「やっぱりみんなと居る方が楽しいから」と参加していたのが印象的でした。
「水力発電所ができて、地域がうるおった」
佐賀県吉野ヶ里町松隈地区は、世帯数40戸、人口116人が暮らす小さな集落です。2020年より住民全40世帯で「松隈地域づくり株式会社」を設立し、小水力発電所の運営を始めました。従来の小水力発電所に比べても発電量の少ない30kWですが、その分コストが抑えられているため、年800万円以上の売上を上げています。
松隈地区に入るのは、返済金などを差し引いた90万円と「水利権・用水路使用料」の100万円の、合わせて年約190万円。株主への個人配当はしない代わりに、得た利益を「地区の活動や地区の課題解決に使う」と決めています。
「まずは地区の最初の10年は主に老人のために使わせてもらって、後半の10年で若い人たちにお金を使ってもらえたらいいなと考えています」と話すのは、「松隈地域づくり株式会社」代表の多良正裕さん。
役員の一人である柏正幸さん(81)はこう話しました。
「率直に言えば、水力発電ができて、地区がたいへん潤っとるわけです。今まで何をしても個人から金を出さなきゃいけんかったのが、水力発電からお金をいただくので、その分個人の持ち出しが減るというわけです」
地区に入ったお金をどう使うか?は地区長である竹下儀彦さんをはじめ、役員で話し合って決めています。竹下さんは言います。
「年間に行われる地区行事はあらかじめ決まっていて、もともとは住民が区費を支払って、その費用や助成金やらで活動してきました。ただそこに水力発電のお金がプラスで入ってくるようになって、個人負担を減らすことができたり、公役で出てきてもらった時に支払える額が増えたりしているわけです。今まで公役の日当が3500円だったのが、倍の7000円支払えるようになりました」
予算に余裕ができたことにより、新しいことを始めようとする気運が地区内で高まっているのだそう。数年途絶えていた夏祭りも、今年から復活させようという話が持ち上がっています。「松隈地域づくり株式会社」の役員である前浜守人さんもこういいます。
「老人クラブのほうも、自分たちで年会費を支払って、町や地区からの助成もあって運営をしているわけですが、水力発電から年15万円ずつお金を出してもらうようになったおかげで、個人の持ち出しなしで旅行ができたり、こうして料理教室や飲み会をして楽しめるようになりました」
お金を使う用途を決める上では、住民アンケートも取りました。「集会に来ても耳が聞こえない」という声に対しては、早速公民館にスピーカーを購入。ついでに皆で楽しめるカラオケ付きに(!)。また「膝が悪いので集まりに来ても座敷に座れない」という人がいたことから座椅子を購入しました。
「一つ一つは小さなことですが、こうした対応によって一人暮らしのお年寄りも集まりに参加しやすくなれば、集落での住みやすさに関わってくるわけです。みんな明日は我が身で、自分ごとです」(多良さん)
2022年からは区費の個人負担が1万2000円から1万円に減り、独居世帯にはデマンドタクシーの補助が出るなど、さまざまな形で水力発電所の恩恵を受けられるようになりました。
水路管理から解放された恩恵は大きい
小水力発電所を立ち上げるまでを振り返れば、大きなハードルは多額の借入をしなければならない点にありました。
「地区の川で発電事業ができるのか、という点では、役員が先行地域を視察に行きましたし、九大の先生(※)のお墨付きも得ているから大丈夫だろうと心配はありませんでした。ただどうやって金をつくるかが問題。地区には共有林という持ち山があって、その管理予算が貯まっていたんです。そこから借りられないかという話になり、山の組合の会計さんと地区の役員が話し合いをしてね」(柏さん)
「その時も色々な意見が出たんです。地区の全員が、共有林の持ち主というわけではないですから。昔から何代もかけて積み立ててきた金を使う上では、やっぱり反対する人もおってね」とは、副区長の寺崎三善(みよし)さん。
「反対というよりは心配ですね。返す補償はあるのかとか。事業全体でみると6000万円近い借金をするわけなので、万が一うまくいかなかった時、うちの財産を全部もっていかれるんじゃないかといった懸念をもたれる方もいて。でもそこはちゃんと会社にして法人登記してやるわけだから大丈夫だと説明して信頼を得てですね」(多良さん)
もう一つ、地区にとって水力発電所ができての大きな変化は、長年悩まされてきた水路の管理がぐっと楽になった点でした。詳しく伺うと、それまでの水路管理の大変さは並々ならぬものがあったそう。それがすべて地区長の責任だったと言います。地区長の経験者である前浜さんはこう教えてくれました。
「今のように取水口まで車で入れる道もないし、U字溝も蓋もない水路なわけでしょう。僕が区長だった時は大雨のたびに、山の中を歩いてぐるっと回って川まで降りて、取水口の水門を閉めたり開けたりしていたんです。集落にとっては大事な水源です。それが詰まったら困るので、しょっちゅう砂を掻き出したり、地区が水浸しにならんように大雨の中水門を閉めにいったり。雨が降る時期は、もう気が気じゃないですよ。それが区長の仕事だったんです。
草刈りも、年に2回公役でみんなでやってたわけだけど、これまた大変で。
なので小水力発電所をつくるって話を聞いたとき、僕はこんないい話はないって飛びつきました。正直、発電事業よりも、取水口の管理が楽になる利点の方が大きかったくらいです」
さらにいえば、同じ吉野ヶ里町の中でも、松隈地区のような山側の集落では、町寄りの地区に比べて、区長の仕事の大変さが違うと言います。山の管理、川の管理といった仕事が、世帯数に応じて支払われる区長手当では割に合わないという話も出ていました。
地区で意見がまとまるのは早かった
一方で、女性たちの反応はどうだったのでしょうか。多良美代子さんはこう話します。
「初めて聞いたときは、本当にできるだろうかという思いはありましたけど、以前もこの集落には水力発電所がありましたからね。馴染みがあったんです。多良(正裕)さんがいうならできるかなって」(多良美代子さん)
「男の方たちが5〜6人先に先行地の宮崎に見学に行かれて、その話を聞いていましたから。九州大学の方(※)もみえて説明があってね。だからそれほど不安はなかったです」(有馬清子さん)
「はじめからそれほど不安は出なかったですよ。多良さんなら実現してくれるって信頼もあるので、みんなで応援しようって。地区でまとまるのも早かったです」(竹下節子さん)
「全戸にアンケートも取られていましたし、株主として支払う投資額も少なかったし。負担額が少なかったのも皆さんが乗り気になった一つの原因じゃないかと思います。
一度は私も質問したんです。収入の何割かでも、株主として全戸に平等に配当金は出ないですかって。でも、配当金という形ではなく、別の形で地区に還元するってことでみんなの了承で決まったんですよね」(築地明美さん)
よそでは、草刈りなど公役に出られない時にはその分を「出不足」としてお金で支払う地区もあります。松隈でも昔はそうした制度がありましたが今はなく、公役に出た時の日当も倍増しました。
「80歳以上の高齢者は公役に来なくていいですよという地区もありますが、多良さんは、草一本でもいいからお年寄りも含めてみんなが出てきて、みんなで助け合いましょうと話をされて。あなたは作業量が少ないから費用が少なくなる、ではなく平等にね。みんな年取るわけだから。おおらかな気持ちでやりましょうと」(矢野ひろ子さん)
これから先、地区はますます高齢化します。行政に頼らないで、地区内で助け合ってどうにかやっていきたいという多良さんの話にみんなが共感したのだと言います。
女性の皆さんから話を聞いて感じたのは、多良さんをはじめ水力発電事業を進めてきた松隈地域づくり株式会社の役員に対する絶対的な信頼感でした。
4名の役員は土木に明るい専門知識がある人や、会計に詳しい人、前浜さんのように区長を経験して信頼を得ている方、若い頃から地域のために尽力してきた多良さんなど、考えて選抜されたメンバーでした。その人たちの熱心さや、誰に対してもきちんと細やかに説明をする態度など、事業の進め方に対する安心感がベースにあったようです。
公の場に出て、将来に対する不安が軽減した
水力発電ができて以降、吉野ヶ里町のサービスであるデマンドタクシーを使う費用の補助が地区から出るようになりました。この助成を受けている松田範子さんはこう話します。
「やっぱりすごく助かりますよね。買い物や病院など週に1〜2回は必ず使いますから。歩くと、一番近いスーパーでも40分はかかります」
唯一の公共交通機関であるバスは、朝夕一本ずつのみ。子供たちはこのバスを待って帰ってくるしかありませんが、デマンドタクシーがあればおばあちゃんと乗り合わせて帰ることもできると言います。
「今まではデマンドタクシーでは一つの目的地にしか行けなくて。スーパーから病院がすぐ近くでも、寄ることができなかったんです。でもそれも10月から変わるそうなので、もっと使い勝手がよくなると思います」(田中マフルさん)
今までは、草刈りなどの公役には、80歳を超えて思うように働けない人は迷惑がかかるので、出ない方がいいという風潮があったのだそう。その意識が変わったのは、水力発電事業が始まった後だと松田さんは言います。
「私たちの世代は、のらりくらりとしか働けない年齢になってまで、公の場に出るのはみっともないって子どもの頃から親に教えられてきたんです。だから、今の年齢で公役に出るのはやっぱり抵抗がありました。でも皆さんが『いいのいいの。顔見せるだけでもいいから、それだけで安心するんだから』って盛んに誘ってくださってね。それでようやく出ようかなという気持ちになったんです」
公の場に参加するようになると、将来に対する不安が間違いなく軽減したと言います。
「それはもうやっぱりね、何かあっても、こうしてみんなに相談にのってもらえるなって思えますからね」(松田さん)
耳が遠くてみんなの会話が聞こえないと話していた多良千佐子さんもこう話します。
「家に一人でいても寂しいんだよ。だからみんなの会話はよく聞こえなくても、この場に居て、みなが楽しそうにしてるのを見てるだけで楽しいんだ」
これから先のお金の使い道としては「公民館を新しくしたい」などの要望も出ていましたが、一方で築地さんからはこんな意見も。
「いまは老人クラブや女性部など、組織に対してお金が還元されているわけです。住民の中にはそうした組織のどこにも所属してない人もいるでしょう。そうした人たちのことも考えた方がいいなという気持ちはあります。なかなか意見を聞く機会がないですが、地区に年100万円入っているわけなので、この先で何らか還元していけるといいなと思いますね」
(編集後記)地区の結束力が増して、個人の安心感に
松隈地区の皆さんは、男性も女性も皆さんお元気で、とても仲が良さそうに見えました。話を伺っていて気づいたのは、一人ひとりが自由にものを話すことのできる雰囲気があること。一言でいうなら、風通しの良さです。聞けば、住民の約半分が移住者で、奥さんは地元出身者でもご主人がよそから来た方という世帯も多いのだとか。よそ者でも自然と集落に受け入れられる空気感があるようです。
もう一つは、多良さんという吉野ヶ里町の町長をつとめた人物のリーダーシップと、そこへの地区の人たちの信頼が大きいこと。これは決して町長をつとめたことによる“権威”的な力を意味しているわけではなく、多良さんのお父さんも含めて、若い頃から多良さんの人柄を見てこられた皆さんの心からの信頼なのだということが伝わってきました。
「子どもの頃からずっと、多良さんがお父さんを助けて茶畑の仕事をして、夜に勉強しているのを見てきましたからね」「大学生の時からまちのために活動されてました」「今度多良さんのお父さんが百歳になるのでみんなでお祝いしようと話してるんです」。長い年月をかけた地域への思いと行動があってこそ、信頼を得て始まった、水力発電事業なのでした。
また、順番として水力発電所ができたから地区がまとまったというわけではなく、もともとコロナをものともしない住民同士の結束力があったところへ、金銭的な余裕ができて、ますます地区が活気を得ているといった印象。後期高齢者への目配りもしっかりされており、楽しい場を提供することによって、「何かあった時に相談できる」という心的な安心感が生まれている。これが何より大きな成果なのではないかと思われます。
(※)佐賀県からの委託を受けた株式会社リバー・ヴィレッジ(九州大学発のベンチャー企業)が住民へ向けた説明会を実施。