2026年6月5日、株式会社Q0が主催するQ0トークイベント Vol.9「わざわざの解剖学」を開催しました。ゲストは、国際大学グローバル・コミュニケーション・センター研究員の伊藤 将人さん、北海道・洞爺湖町で循環型農業を営む佐々木ファーム代表の佐々木 麻紀さん、群馬県桐生市で唯一無二の服を作り続ける株式会社ezuの岩野 久美子さんです。タイパ(タイムパフォーマンス)やコスパ(コストパフォーマンス)といった「効率」が至上命題とされる現代社会において、あえて「わざわざ」手間暇をかけることの価値を解剖しました。
執筆:吉澤 瑠美
加速する社会において主体的に選び取る「不便」とは
現代社会において生産性の最大化が重視されるのは、社会が加速しているからにほかなりません。ドイツの社会学者、ハルトムート・ローザは著書『加速する社会』において「物理的速度、社会変容、生活テンポ、すべてが加速している」と指摘しています。その結果、最短距離で正解に辿り着くことは容易になりましたが、引き換えに偶然性や想定外といった要素は失われたと言ってよいでしょう。

「地方移住」や「人の移動」を社会学的に研究し、持続可能な地域社会のあり方を探求している伊藤さんは、「わざわざ」の本質には「不便」が存在すると分析します。
- 「させられる不便」:通勤などのように、本来は消したい強制的な不便。
- 「主体的に選び取る不便」:自発的に選択し、そこに豊かさを感じる不便。不便益。
伊藤さんは、「選び取る不便が求められるのは、移動不可能財(動かすことのできない価値)が世の中に存在するから」と専門である移動の観点から語ります。不動産や文化、人間関係などはVRやオンラインでは代替できず、自ら「わざわざ」行かなければなりません。この「行かなければならない理由」こそが「わざわざ」につながっていると考えられます。

物理的速度が高まり、移動の自由が広がる一方で、階層や職種(テレワークの可否など)によって移動できる人とできない人の格差も広がっています。これにより、「わざわざ」手間をかけることを豊かさとして享受できる人とそれを考える余裕すらない人に分断される「わざわざ格差」への問題を提起し、次にバトンを渡しました。
循環型農法でわざわざ提示する「次世代のビジョン」

佐々木ファームは北海道・洞爺湖の広大な土地で、化学肥料や農薬を使わない循環型農法を行っています。除草剤を使用しない分、野菜の量の何百倍もの数の雑草を手で抜く手間を要する農法を「わざわざ」選んだきっかけは、当時の前代表夫妻(姉夫婦)が突然幼い我が子の命を失ったこと。「喪失と向き合うなかで『農業とはいのちを作り届ける営みである』という思いが芽生え、いのちのバトンをつなぐ循環型農法を選択した佐々木ファームを引き継ぎ、今に至ります」と佐々木さんは語ります。
現代の農業の主流である慣行農法は大量生産・大量流通を可能とし、食料不足の解消に貢献しました。しかしその結果として、大量廃棄や異常気象など自然が作り得ない「不自然」な環境が生まれている現実を佐々木さんは指摘します。「慣行農家が現代の食を支える。そして私たちはいのちの共生で野菜を育て、次のビジョンを提示している」と佐々木さん。

佐々木ファームでは、CSA(地域支援型農業)やちきゅう留学(主に学生が運営する農育イベント)などの活動を通じて、消費者と顔の見える関係を築いています。「生産者の顔が見えると、生産者は責任を持ち、農薬を減らす。消費者の顔が見えるからこそ、私たちは頑張れる」と佐々木さんは語り、効率化の中で失われた人と人のつながりが「わざわざ」手間をかける価値を支えていることを強調しました。
▶ 佐々木ファーム
「好きなこと」を探求した先に生まれた、他にない価値
岩野さんは、デザインを人のアイデンティティに見立て、一点限りの服を作り続けています。岩野さんは自身の活動を「ファッションではなく、人間が面白くてやっている。好奇心と探求心の活動」と語ります。
天然の貝ボタンを使用する際、岩野さんは自らすべてのボタンを目視でピッキングします。形が整ったプラスチックの量産品の方が効率的ですが、天然の光が持つ美しさを服に添えたいという純粋な欲求が、その手間を支えています。「私にとっては一つも『わざわざ』ではなく、好きなことをやっていたらこうなっただけ」と岩野さんは笑います。

また、桐生の山の上にある岩野さんのアトリエショップが営業するのは、毎月1日から7日までの7日間限り。しかしそこには全国、ときにはメキシコからも「わざわざ」自分だけの一着を求める客が訪れます。「服は、その人の日常や思い出を吸い込んでその人だけの一着として完成する『記憶の器』。15年前に妊婦さんにワンピースを売ったら、15年後に娘さんがそのワンピースを着て店に来てくれたこともあります」と岩野さん。
流行を追わず、コレクションも発表しない岩野さんのブランドは、始めた頃こそ懐疑的な声もありましたが、20年の時を経て、現在は「これからの資本主義のあり方」など前向きに捉えられるようになりました。情熱をもって独自の道を選んだ活動が結果として消費者の「わざわざ」を促し、他にない価値を世に送り出しています。

▶ ezu|エズ公式オンラインショップ
「わざわざ」と事業のスケーラビリティ
プレゼンテーションを終えた3人にQ0・林 千晶がモデレーターとして加わり、後半はクロストークで議論を深めました。
最初に伊藤さんは、2人の実践者の話を聞き「『わざわざ』は、自己評価と他者評価で異なる」という本質を指摘しました。本人たちは趣味や当たり前として取り組んでいることが、外部からは「わざわざ(大変なこと)」と評価される。この相互行為の中にビジネスや価値が生まれるのではないかという分析です。

一方で、「わざわざ」と呼ばれる取り組みの多くは効率を追求する大企業が苦手な分野ということもまた事実です。現在は中小企業として事業に取り組む2人ですが、事業のスケールについてはどのような挑戦をしているのでしょうか。
「経済的には挑戦中」と語る佐々木さんは、それでも「譲れない思い」を軸に発信を続けることで生産者・消費者の垣根を超えた濃密なコミュニティを広げています。観客として会場を訪れていたちきゅう留学の参加者は、「つながりの大切さ、いのちの考え方に共感した。話を聞くだけではなく現地を訪れ、自分で体験して学ぶことに意義を感じた」とその経験を共有しました。
「すべての人が同じスタイルである必要はないのではないか」という問いを前提に活動する岩野さんは「事業のスケールを意識していない」と語りますが、場づくりには思いがあると言います。その最たるものが月初の7日間だけ開くアトリエショップで、なかには岩野さんを気遣いお弁当を作って来る人や個展のDMを知人に配ってくれる人もいるそう。事業や組織の拡大とは異なりますが、7日間が醸成する家族のようなコミュニティがその事業を支えています。
大企業が「わざわざ」に取り組む必要はないのか?

では、この先も「わざわざ」は大企業とは無縁の、小さな取り組みであり続けるのでしょうか。NTT東日本ではさまざまな形で地域と関わる社員を支援する「地域エバンジェリスト制度」が始まっています。東京一極集中が叫ばれる昨今、情報通信網を司る事業に取り組むうえで、都市以外への想像力がないままビジネスを設計することは現実的ではありません。伊藤さんは「企業が『わざわざ』を支援することには中長期的なメリットがあるはず」とこの制度を評価します。
加えて林は、現代の金融市場における「インパクト投資」や「非財務指標」の広がりに言及。「財務指標(どれだけ儲かるか)だけでなく、『その場所があって良かった』というインパクトに、世界のお金が流れようとしている」と指摘しました。「わざわざ」の経済圏が少しずつ広がっていくことで、100年後の世界はより楽しくなるのではないかという展望を語りました。

最後に、伊藤さんは知人の言葉を紹介しました。精神疾患を抱え、ベッドから起き上がることすら苦しい彼女が語った、「今日はわざわざ上半身を起こせた」と自分を肯定する言葉です。伊藤さんは「わざわざには上も下もなく、人によって価値付けが違う。他者の小さな『わざわざ』を否定せず肯定することが、豊かな社会への第一歩ではないか」と会場に呼びかけました。
加速し続ける社会において自分の意志で立ち止まり、対象と向き合って関係を築く「わざわざ」の価値を再認識した今回のイベント。交流会では佐々木ファームで生産された野菜を囲み、参加者を交えてクロストークの続きに花が咲きました。

